「本当によろしいのか」
「はい…」
静かに応えた声は、震えてはいたがしっかりとしたものだった。
その返事に、彼は一つ頷くと、女の腕に大切に抱えられたものを出すようにと指示を出した。
女は…しばしの間それでも躊躇うように腕の中のモノを抱きしめて、それから諦めたように脱力する。女の緩んだ腕から、彼はソレを受け取って寝台に乗せた。
寝台に乗せられたのは、まだ幼い少年。これから起こることに気付きもせず、安らかな寝息を立てている。何かが抜け落ちてしまったような表情をしている女に、部屋から出るようにといい、女が出たのを見てから彼は作業に取り掛かった。

それから数刻。
女は人目をはばかるように少年を腕に抱え夜の街へと消えた。
その姿を見送った彼の手元に残されたのは瓶詰めにされた金の光と、小さな袋いっぱいに収められた金貨だった。


これは、とある街角でのとある出来事。
それから季節は巡り、丁度10度目の夏を迎えたある日。
いつだってそうであるように、これもまた唐突に始まった。

物語の歯車が軋んだ音を立てて動き出す――






DOLL

ep. 1






「大丈夫だよ、俺は平気」
「でも…」
「心配するなよ。な、そうやって翔がいてくれるから俺はそれで十分」
な、と笑ってみせる彼の姿に、翔は逆に泣きたくなってしまう。
大丈夫、なわけがない。大丈夫なわけがないのだ。それなのに、彼はいつものように笑って見せている。翔に心配かけまいとして。
「でも…っ」
「しょーお」
「アニキ…」
それでも言い募ろうとした翔の言葉を、彼はさえぎってしまう。そうまでされてしまっては、もうこちらが何か言うことなどできはしないではないか。行き場所のなくなってしまった言葉を彼への呼び名に変えて、翔は口をつぐんだ。ちなみにアニキ、というのは別に彼が翔の兄というわけではなく、いわば親しみを込めた愛称である。
「そりゃあ、家もなくなっちゃったし、家族も…もう会えないと思うと寂しいけどさ。でも、学校が寮に来てもいいって言ってくれてるし、学費も奨学金でなんとかなるって。だからホント、大丈夫なんだ」
それよりも、明日から寮に移動するからいろいろ手伝ってくれよ、と彼は言う。
それに、「絶対絶対、手伝うからねっ」と答えて翔は寮に戻ることにした。もう門限には間に合わないだろう。どうせ怒られるならもっと遅くまで、と思わないでもなかったが、逆にそれが彼を疲れさせてしまっては本末転倒なのでよしておく。また明日なー、と手を振る彼の腕が包帯でぐるぐると巻かれているのが痛々しかった。
暫く行ってから、もう一度振り返ると、彼は手を振るのだけやめてそこに突っ立っていた。真っ赤な夕日が余計その姿を寂しげにしているのが目に焼きついて離れなかった。


*   *   *


彼――遊城十代の家が火事に遭い、彼を残して全てが燃え尽きたのはつい五日前のことだ。なんとか家から逃げ出した彼も煙を吸い、火傷を負って満身創痍だった。幸いにして命に関わるほどの怪我ではなく、若さも手伝って明日には退院をできるまでに回復した。流石に事故直後の二日はショックと怪我で起き上がるのもやっとだったのだが。
何故火事が起きたのか出火原因は不明。けれどその徹底的な燃え方は、何か作為的なものを感じずにはいられないほどのものだった。口さがない人々は噂する。

この家は放火にあったのだ――と。


*   *   *


でも本当によかった、と十代はベッドに戻って思う。今の十代が持っているものといえば本当に自分の身一つだけ。ショックが抜けると、やはり襲ってくるのはこれからの生活に対する不安だった。このまま路頭に迷うのではないのかと思ったが、衣食住全てを賄おう、と学校が言ってくれたのだ。もちろんタダというわけではなく、奨学金として補助する、いわば出世返しをしろという条件だったが、拒否する理由もない。ありがたい申し出だった。
家を失ったことより何よりも家族に会えないことが寂しかった。が、不思議とそれで絶望を感じたりはしなかった。大丈夫、と翔に言ったことは嘘でも強がりでもなんでもなく、十代の本音そのもの。あれだけ翔が心配していたのだから、もっと他のヒトは立ち直れないものなのだろうか、とまで思う。でもそうかもしれない。昔からずっと、悲しみとか憎しみとか怒りといったような所謂『負』の感情に十代は疎かった。自分ではこれが普通だと思っているのだが、他の人に言わせれば大分一般からずれているらしい。普段は、普通よりも明るい人といった風に捉えられるが、場合によってはそれが濃く浮き出ることがある。
そういう場面で出会った人が十代に抱く感情は恐れに近い。一度、何のときだったか十代はこう言われたことがある。
――お前には何かが欠けている、ヒトじゃない、と。
それを聞いた周りは色めきたったが、当の本人はやはり平然としたもので。それが余計に相手に畏怖を抱かせたらしい、周りと衝突する前に十代の前から走り去ってしまった。
とすれば、やはり家族を失うということはもっと『悲しく』て『寂しい』ものなのだろう。鈍感な十代でさえ、心が重いと感じるのだから、普通は耐え難いほど辛いものに違いない。
ああ、だからこその翔の態度なのだ、と十代は理解する。看護士や医師もどこか十代を扱いかねている様子だった。彼らから感じた違和感は多分そこにある。
昼に外を歩いたのは、思った以上に十代に疲労をあたえていたらしい。
やっぱり俺からは何かが欠けているのかもしれない…、そこまで考えて十代の意識は眠りの底に堕ちていった。

次の日、十代は翔に持ってきてもらった服に着替え、病院を後にした。荷物もなにもないから手ぶらのまま、翔と一緒に寮に向かう。ちなみに今来ているのは翔の兄の服のお下がりだった。翔は小柄な十代よりもさらに小柄なので十代は彼の服を着ることはできない。そこで彼の兄の服を譲ってもらったのだが、弟とは異なり体格の良い兄の服は逆に大きすぎて袖や裾が余ってしまい、まるで道化師のようだ。
しかし、そこは都会の常であるように、皆気にする様子もなく通り過ぎてゆく。多少の変な格好など気にする余裕などないと言わんばかりに早足で歩き去る。とはいえ、普段通学として使うことのなかったこの道は、急ぎでない十代たちにとっては十分ゆっくりと見て回る価値があった。忙しそうに人が行きかう街道とは異なり、昼前の店はどこも長閑な空気が流れていた。色々とウィンドウショッピングを楽しみながら歩いている最中、十代は一つの店の前でふと足を止めた。
「アニキ…?」
硝子の向こうを覗き込む十代に、翔が何を見ているの、と声を掛ける。丁度大通りと小さな路地と交わる角の店で、店内は他の店に比べて薄暗い。外観を見てから、もう一度翔は十代を振り返ったが、十代から返事はなかった。仕方ない、と翔も十代の傍から硝子越しに店内を覗き込む。
「これは人形…?」
なかにあったのは、非常に精巧な人形の数々だった。相当腕の良い人形師がいるのだろう。店内の薄暗さが逆に間接等の違和感を取り払っていて、作り物というよりただ人が眠っているだけのように見える。確かにこれは賞賛に値するものだが…、十代と人形が今ひとつ結びつかない。飛びぬけて明るく、これ以上にないほどの『生』を感じさせる十代と人形では全く対極のものだ。それに、十代は芸術面にそれ程興味を持ってるようには見えなかった。実際、翔はこの一年十代と過ごしてきたが、そういう素振りを見せたことは一度もない。ここで立ち止まるより、いいにおいを立ち上らせている菓子店やレストランで立ち止まっている方がずっと性分にあっている。
暫く十代は店内を覗いていたが、やがて満足したのか、また寮への道を辿り始めた。それを翔は慌てて追いかける。
「アニキがあんなの見るなんて珍しいっスね〜。それとも前から興味があったんスか?」
「ん…何となく、呼ばれた気がしたんだ」
「呼ばれた…?まさか人形にっ!?」
「ああ。なんか不思議だよなー」
けらけらと笑いながら、十代はとんでもないことを言う。相変わらずアニキはよくわからない…と翔はこっそりとため息を吐いた。それとも精霊を見る力を持つ人間というのは皆こういうものなのだろうか。
翔には精霊を見る力がないからわからないが。
それから後はいつもの十代らしい足の運び――飲食店を冷やかしたり、散歩をする犬と戯れたり――で街道を進み、丁度寮の昼食のタイミングで門へたどり着いた。





2008.07.21.






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